行ってきました!キリスト教会に!
(※画像は「ぱくたそ」より引用・・・僕が今日行った教会はこんなに荘厳ではありません('Д'))
今日は日曜日。
日曜日と言えば、多くの人がお休みの日です。
ではなぜ日曜日がお休みの日なのでしょうか?
では安息日は何をする日なのでしょうか?
キリスト教では、教会に行ってお祈りをする日になっています。
というわけで、キリスト教にのっとって、今日は初めて教会に行ってみることにしました。
その様子をレポートしますよ~☆
目次
そもそもなぜ教会に行こうと思ったのか?
メンタルを病んでいると、生きることに絶望することがよくあります。
「これから先が不安でたまらない」
「自分なんていないほうがいいのでは?」
「自分に何ができるというのだろう?」
いままで見えていた道が、見えなくなるんですね。
目先1メートルくらいしか先が見えなくて、つい生きるのをあきらめたくなっちゃうのです。
僕もそんな人間です。
人生のリセットボタン、押しちゃおうかな~と思うときが多々あります。
でもそんなときに「一人じゃないよ!」と助けてくれるのが、宗教の存在。
宗教と言うと怪しい存在に思えますが、僕がここでいう宗教とは主に仏教とキリスト教のこと。
どちらも数千年続く伝統宗教です。
お寺に泊まっていたときのこと。
僕が宗教について意識するようになったのが、9月に田舎フリーランス養成講座でお寺に泊まっていたときのこと。
日中はお寺の中で作業することが多かったんですね。
そうすると、静かな雰囲気の中、すごく集中して作業できました。
でもそんななか、そこの住職さんがお話ししてくださいました。
「あまり根を詰めないことだよ」
お寺の掛け軸にも書いていました。
「あるがままに」
当時はフリーランスとして一本立ちしないと!と気負っておりましたが、現在は人生停滞気味。
大切なのは、一方向に向かって進むことではなく、一歩引いて自分の人生を俯瞰する余裕だったのでないかと今では思います。
そこから
「仏教ってなんだろう?」
「そもそも宗教ってなんだろう?」
と疑問に思うようになりました。
先にキリスト教へ。
仏教のお話をもって聞いてみたく思ったのですが、そもそもそういった場所がどこにあるのかわかりません。
お寺は地域にたくさんありますが、私のような門外漢がアプローチするような接点が見つからないのです。
母のお骨を預かっていただいているお寺は法話などを頻繁にやっているのですが、いかんせん場所が地元の宮城県。そうそうは帰れません。
こんなに数があるのに、敷居の高い仏教界。なんとかならぬものかと思いました。
そこで「キリスト教なら!」と思いました。
さっそく僕の住む街と「教会」で検索をかけてみると、日曜の集会に参加できるところを一つ見つけました!
初めて参加する方歓迎とのことだったので、さっそく今日参加してきました。
教会での過ごし方
お祈りが始まるまで
お祈りは10時半から。20分前くらいに行ってみました。
最初に名前を書いて、聖書などをお借りします。
通された礼拝堂は、思ったほど大きくなく40~50人くらい入れる規模です。
プロテスタントの教会なのですが、絵画や像などはなく、十字架がある以外は普通のスペースに見えました。
初めて参加するということもあって、先にいらっしゃっていた方のお隣の席を勧めていただきました。
こちらの方は信者の方で、信者歴30年くらいとのこと。ベテランさんですね。
お祈りが始まるまでしばし雑談。とても良い方でした。
礼拝の始まり
礼拝が始まると、音楽が流れます。
おなじみのパイプオルガンの曲ですね。
その間黙想します。
心の中は
「いよいよはじまったな~」
とドキドキ。
そのあと起立して讃美歌を歌います。
讃美歌は聖書とは別に厚い本があるのですね。
聖書を読む
その後牧師さんが聖書を読みます。
牧師さんは皆さんがイメージされるような法衣を着ているわけではなく、普通にスーツにネクタイです。
読み終わったらまた起立して讃美歌です。
説教(怖くはない)
このあとは「説教」というパートなのですが、怒ったりするわけではありません(笑)
読んだ聖書の部分について牧師さんのお話を聞くという所です。
しかしこの聖書がまたなかなか厚く、またお話の最中も聖書の中のあちこちに話がうつるのですが、そのたびにお隣の信者の方が教えてくださるので安心です。
また必要な箇所にはあらかじめ付箋が挟まれているので、こちらも便利でした。温かいお心遣いですね。
今回読んだのは「ルカの福音書3章1~20」というところ。
要約できるか心配なのですが、「悔い改めることができるかどうか」というのが今回のお題のようです。
「悔い改める」には自らの罪と向き合わなくてはなりません。
その罪に向き合い切ったとき、「悔い改めにふさわしい実」が見えてくるのですが、これではまだ十分とは言えません。
聖書では洗礼を受けようとするものに伝道者であるヨハネがこのように話したという箇所があります。
3:10群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」 3:11彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者に分けなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」
人に与えることで、悔い改める道が示されるということですね。
再び讃美歌
お話が終わると、再び讃美歌を歌います。
献金(強制ではない)
このあと献金と言うのがあります。
係の人がお金を集めるのですね。
でも隣の信者の方にも言われたのですが、「あくまでお気持ちなので、入れなくても大丈夫です」とのこと。
僕もまだ来たばかりの人間だしなぁ・・・と思い、回ってきた献金箱には100円玉だけ入れました。
その後いろいろ
あとはまた黙祷したり、讃美歌歌ったり、いろいろして1時間ほどで終了です。
会の最後に初めて参加した者として僕の名前が紹介されて拍手されてちょっと照れる思いです・・・(笑)
会の後は、牧師さんやお隣の信者の方とお話ししました。
クリスマス会のお話などを聞いて、子連れ歓迎と言うことで行ってみようかなとも思いました。
これもアダルトチルドレンの自助グループと同じだったのですが、今後も参加を促されるようなことは一切ありませんでした。全然勧誘とかされません。
まとめ:行ってみて良かった。
実際、行ってみて良かったなぁと思いました。
特に讃美歌を歌っているとき、思うところがありました。
「こんな無価値に思える自分でも、神様は愛してくださるのだなぁ」
何をやるにもダメダメで、何をやってもうまく行かなくて、どん底気味の自分。
道を踏み外している自分。
そんな自分でも神様はあまねく救ってくれる。
また「悔い改める」というパートも自分の心に響きました。
うつになると罪悪感(自分はこんなことでいいのか?)に苛まれることも多いのですが、自分の抱えている「罪」に向き合うこと。
キリストの教えの中では、全ての人が「罪」を背負っています。「原罪」というものですね。
全ての人が罪を背負っているという意味でも、全ての人は平等です。
だから僕も「自分だけ無価値・・・」みたいなこと思う必要ないのかな・・・と思えるようになりました。
さすが長年続く宗教・・・一回来ただけなのに、そんな自分にも響くなんて奥が深いです。
キリスト教は最初は売春婦や奴隷を中心に広まったそうです。
社会的な弱者にこそキリスト教はより必要とされたのですね。
礼拝に行っただけでは入信を勧められることはないので、メンタルが参ったときにはお近くの教会に行ってみることもお勧めします(^^)/
宗教と言うと身構えてしまいますが、自分は一人で生きている存在ではないのかも・・・と思えるきっかけになるかもしれません。
誰かに助けられ、そして他の人を助ける・・・そういう社会の繋がりを実感できると、生きやすくなるのではないでしょうか?
僕も入信を決めたわけではないですが、歴史好きと言うこともあり聖書についてもっと勉強してみようかなぁと思いました。
アニマルカフェに行って癒やされてきました!!
アニマルカフェとは何ぞや?
うつと動物
研究によれば、犬を45分間マッサージすることで、ストレスホルモンであるコルチゾールの濃度が低下するほか、白血球が増加することで免疫系まで最適化されるそうだ。抱きしめることで、ストレス軽減ホルモンのオキシトシンが体内に放出され、血圧や心拍が低下する。
犬に触れると、脳の特定領域内で脅威のサインに対する反応が止んでしまうのだ。
アニマルセラピーとは、動物との触れ合いを用いて、人に心理的な安心を与えたり、精神的な健康を回復させたりする手法のことを指します。アニマルセラピーはもともとは海外発祥で、日本だけでなく世界中で実践されています。その歴史は長く、種類も様々です。
アニマルセラピーにおいては、その名の通り、セラピー効果が最も大きいといえます。
ストレス軽減や癒やし効果、精神的な安定をはじめとして、コミュニケーション能力や自発性の向上などもみられる場合があります。
山口県の岩国医療センターも、アニマルセラピーががん患者の緩和ケアに有用であるという報告を2016年に行っています。
セラピー犬3頭が病院に定期的に訪問したことで、患者に医療従事者とのコミュニケーションの改善がみられたほか、患者・患者の家族・医療従事者への癒やしの効果もあったと報告されています。(出典:https://petokoto.com/173)
実際どんなふうにアニマルカフェで過ごすのか?
行ったことない方には「アニマルカフェってどんな感じに過ごしたらいいの?」「行ったことないから不安・・・」という方もいらっしゃるでしょう。
僕が行っているお店を例にご説明いたします。
まず店内に入ると最初に受付があるので、初めて来店するも旨を伝えます。
そうするといろいろ注意事項が伝えられるのでよく聞いておきます。
動物の中には光るものをつついたりして危ない場合がありますからね。
料金プランは僕が行ってるところみたいに無制限のところもあれば、1時間いくら~みたいなところもあります。
時間制限があるところは、最初のうちは30分か1時間くらいにしておくといいでしょう。
先に手の消毒があるので、これをきっちりやってから入室します。
あとドリンク制のところもあるので要確認。
僕が言っているところはフリードリンクで250円。
動物と触れ合うのが忙しくて僕は頼んでませんが(笑)
中にはおいしいコーヒーを出してくれるお店もあるので、気になる方は頼んでみてもいいかもしれません。
さて、いざ入店します。
猫カフェとかだと、猫が本当に悠々自適に過ごしています。
ここで注意が必要なのですが、時間帯によっては猫が全員寝ている場合があります(笑)
時間帯としては午後1~4時なんかは結構危険です。午前中~お昼くらいを狙っていくといいと思います(それでも寝ている子はいますが)
愛想のいい猫なんかは寄ってきてくれるのですが、猫は基本気ままなので、触れ合いたいときはこっちから行くしかありません。基本殿様商売なのです(笑)
猫が好きなおもちゃが置いてある場合もあるので活用するといいかもと思います。
あと最強なのが、やっぱり食べ物ですね(笑)
エサやおやつが売っている場合があるので、これを使うと食いしん坊な猫が寄ってきたりします(笑)
僕も行くときは必ずこの猫のおやつを買います。
食いしん坊で可愛い猫がいるもので(笑)
ただしエサの持ち込みはだいたい禁止されているので、必ずそのお店で買うのをお忘れなく。
(あと本当かどうか怪しいのですが、お寿司を食べた後に行くと猫が寄ってくるという噂を聞いたことがあります。魚のにおいがついているからでしょうか???)
まとめ
アダルトチルドレンの自助グループに行ってきました!
ブログを毎日やると言っておきながら、昨日さっそく休んでしまいました(笑)
やっぱり毎日やるってのは自分の性分に合わないのかもしれません・・・。
とりあえず三日坊主は防ぐべく、三日に一回くらいは更新できればと思います。
ところで一昨日、アダルトチルドレンの自助グループに行ってきました。
行ったことがなかったのですが、自分にもアダルトチルドレンについて思い当たる節があるので、行ってみることにしました。
目次
アダルトチルドレンって何?
アダルトチルドレンと言われても何のことかわからない方もいますよね。
ウィキペディア先生によると、こんな感じのことになるようです。
アダルトチルドレン(英:Adult Children)とは、
- 親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人[1][2]。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語で、こちらが元々の意味である。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である[1]。
- 親による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)[3]。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと
もともとはアルコール依存の親によって育てられた人のことを指していましたが、その後虐待を受けて育ち、大人になってからもそのことが心の障害になっている人たちを指します。
精神疾患と言うよりかは、心理学的な用語かと思います。そしてこのアダルトチルドレンは、その定義に照らして「自分はアダルトチルドレンなんだ」と思えばその人はアダルトチルドレンと言うことになります。これを「アダルトチルドレンの客観性の排除」と言うそうです。
またその特徴的な症状については、やはりウィキペディア先生によれば以下のようになります。
- ①自分の判断に自信がもてない。
- ②常に他人の賛同と称賛を必要とする。
- ③自分は他人と違っていると思い込みやすい。
- ④傷つきやすく、ひきこもりがち。
- ⑤孤独感。自己疎外感。
- ⑥感情の波が激しい。
- ⑦物事を最後までやり遂げることが困難。
- ⑧習慣的に嘘をついてしまう。
- ⑨罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的。
- ⑩過剰に自責的な一方で無責任。
- ⑪自己感情の認識、表現、統制が下手。
- ⑫自分にはどうにもできないことに過剰反応する。
- ⑬世話やきに熱中しやすい。
- ⑭必要以上に自己犠牲的。
- ⑮物事にのめり込みやすく、方向転換が困難。衝動的、行動的。そのためのトラブルが多い。
- ⑯他人に依存的。または逆に極めて支配的。
- ⑰リラックスして楽しむことができない。[15]
こうしてみますと、僕は⑧以外は全部当てはまるんですよね・・・。
僕自身はアダルトチルドレンだと思います。
そしてこのアダルトチルドレンから回復するには、カウンセリング・ないしは自助グループへの参加が効果的とのこと。
この自助グループ、都会と田舎を問わず実にさまざまなところにあります。僕の地域にも毎週開いているところを見つけましたので、さっそく行ってみました。
自助グループって実際どんな感じのところ?
僕が参加したのは、アダルトチルドレンアノニマス(https://aca-japan.org/)というところです。
このアノニマスという言葉、「匿名」という意味があります。
参加者は原則匿名での参加となります。
さらに固有名詞の発言もなるべくNG(〇〇病院とか○○市とか)。
会の間は基本的に言いっぱなし、聞きっぱなしなので口を挟まれることはありません。助言とかもありません。
僕が参加した時は、テキストを輪読し、それについて自分の環境と絡めて話すスタイルでした。
人数はその時は7人くらい。男女や年齢はけっこうばらばらでした。
2時間くらいの会で、最初の一時間半は輪読と自分の話、残りはクロストークと言うことでこの時間は意見交換みたいな感じです。
参加は無料なのですが、一応献金制と言うことで机の真ん中にお金の袋が置かれています。
匿名性なので詳しくは書けないのですが、辛い経験をされている方がけっこういらして・・・なんというか、「自分も死んじゃいたいけど他にもそういう方がいて安心だな」と思いました。
話すことにも意義がある。
僕は結構簡単に自分の境遇について話してしまうタイプです。胸にしまうタイプではありません(笑)
でも話した後にいつも思うのです。
「ああ、あんなこと言わなくてもよかったのにな」と。
辛い過去についてぽろっとしゃべってしまったがために、「なんと思われているだろう」と無性に気になってしまうのです。
「辛い」というのはあくまで主観的な考え方。それを相手に手渡したときどんな反応をされるのか。
それについて敏感になってしまいしょうがありませんでした。
それでもつい自分の経験を軽率に語ってしまうことの理由は、周りに対して「自分はこんなにつらい経験をしてきたんだ。だから少しで良いから助けて!」というメッセージを発しているからのように思えます。
小さいころに親に心身ともに暴力を振るわれてきた自分。学校でもすごくいじめられていて居場所がなかった自分。周りがいつも羨ましくて仕方がなかった自分。
だから大人になった今でも、自分の心の中の幼い自分がまだいて、ヘルプを求めているのでしょう。
でも一般の人にそれを伝えた所で、こちらが満足のいく答えが返ってくることはまずありません。
いちど親しかった職場の先輩に虐待を受けていたことを打ち明けたところ、
「まぁ昔はそういうこともよくあったよね」
と軽く流されてしまいました。
その先輩がひどいのではありません。
世間一般にはこうした境遇があまり重く受け入れられない・・・というかどう反応したらいいのかわからないのが実情だと思います。
その点、こうしたアダルトチルドレンの自助グループではそうした「反応への心配」をする必要がありません。理由は二つあります。
一つは、自分の話したことは話しっぱなしにすることが原則だからです。
自分が話したことについて誰かが意見することはありません。
だから「こう言われたらどうしよう・・・。」という心配は必要ないのです。
もう一つは、周りもみんな同じようなことを経験してきているからです。
全員アダルトチルドレンだからここにきています。
みんな違う経験はしてきているけれど、抱えている生きづらさは同じです。
表情から見て取れる反応はそれぞれですが、真剣に聞いて頷いてくれる方もいます。
話をする順番は僕が最後だったのですが、みなさんのお話を聞いて、「こういうところまで話していいんだ!」という気持ちになれました。
結構その時は自分の考えについておおっぴらに話せたと思います。
まとめ:これからも行こうかどうかはまだ思案中
結果としては行って良かったと思います。ただ難点としては平日の夜にやってるので、妻と子供を残していくことになるということ。あと一番近いとはいえ車で1時間くらいかかるということ。
とはいえ最初の一回だけ行って判断するというのも性急な気もするので、もう少し通ってみようと思います。
アダルトチルドレンについてはまだまだお話しできる余地があると思うで、続編があればまた書きたいと思います!
ブログが続かない!もうやめるしかないのか?
みなさんこんにちは!
これを読んで頂いているみなさんは、ご自身もブログって書いていますか?
「毎日書いているよ!」・・・という方。すごいです。まじですごいです。
僕ですか?
・・・前回の更新は・・・10月20日。
1か月も書いてませんでした!(笑)
「ブログも頑張るぞー」と思い、田舎フリーランス講座にまで通い、独自ドメインを取るためにはてなブログに8000円ほど上納し、だけどもブログは書かない。
どうしてなのか?
なぜブログを書けなくなるのか?
僕も8000円が無駄になるのがなんとなく嫌なので、なんとなく理由と対処法を書いてみました。
ブログを書けない理由3選
①忙しい
これが一番ありそうですね。日々やることありすぎてブログなんか書いてらんない。
現代人は忙しいですもんねー。仕事に遊びに家族に仕事に仕事に仕事に・・・。
でもちょっと待ってください。
僕、仕事してないですから
そうなんです。僕、仕事していないです。
少しだけWEBライティングをの仕事を頂いているのですが、それも月にして8000字程度。月8時間ほどで終わります。
時間ですか?
あります。
売るほどあります。
ええ、実際に売ってお金に換えたいです(笑)
結局書かない人は時間があっても書かないってことですかね?
②ネタがない
実際この理由がほとんどだと思うですよ!
と言いますのも、ブロガーとして活躍されている方って、面白い記事とかたくさん書いているじゃないですか。
よさげなデザイン、画像、イラストを用いながら。
僕も初めの頃こそ「よーし、がんばっていい記事書くぞー」とか思ってました。
でも日々流れてくるそうした人気ブロガーさんの更新記事を見ていると、
「あれ・・・こんな記事自分には書けなくね?」
という心理状態に陥ってしまうわけですよ。
書こうにも、変なことは書けない。
ブロガーとしてやっていく以上、いい記事を書きたいものです。
でもそうそう人気ブロガーさんみたいな記事って書けないんですよね。
そうして自分のブログから足が遠のいてしまうと。
自分も行かないようなブログに人は来ませんよねー(遠い目)
③本当にお金が稼げるのかギモン
これも実際あると思います!!
と言いますのもぶっちゃけ独自ドメインまでとってブログ書くのって、収益化ありきじゃないですか。
普通にネット上に自分の思ったことを書くのなら、わざわざ8000円も払わないで無料版の日記サイトを使えばいいわけですし。
ところがところが、このブログの収益化、1円「目」がさっぱり見えない(泣)
フリーランスの他のお仕事ってお金が見えやすいじゃないでか。
WEBライティングで言えば「文字単価~円」というふうにいくらの案件か明示されているし。
株やFXの投資で言えば、株式や通貨の額の変動で「~円儲けた(損した)」というのがわかりやすく示されています。
ところが!
僕のブログには!
1円のお金も!
入ってこない!(泣)
まぁそりゃね?
内容あるブログかと言われれば?
そりゃ自信はないですよ(キリッ)
毎日更新?
いやー、できてないっす(←おいっ)
確かに更新できてない⇒儲からない⇒更新したくなくなる・・・っていう悪循環はありますよね。
1円でも利益が出れば、「いままでの積み重ねで~円の利益が出たから、必要な額までこれくらい頑張ればいいんだ!」みたいな標識ができて良いんですけどね。
まとめ ブログ?もうやめる!
というわけでですね、ブログはやっぱり無理なのかなと。元は取れないのかなと。8000円稼ぐなら日雇いのバイトを1日やったほうがいいのかなと考えました。
でも他の仕事も・・・これと言って良いのないんですよねぇ。
コンサルタントの仕事も頭打ち。
FXは一進一退を繰り替えすうちに生活費がピンチになり、元手を崩すことに。
WEBライティングの仕事もいま引き受けている案件は面白いけど、他にやってみたい案件はさほど多くもなし(応募しても落とされるし)。いま引き受けている案件は月に数千円程度なので生活費になるべくもなく。
専業主夫になろうかとも思った時期があるけれど、妻の給料だけじゃ生きるのに精いっぱいで子だもたちに満足いく教育を提供できるか不安だし。
再就職しようかなともよく考えています。でも病気を抱えながら週5日8時間、ちゃんとやっていけるかというと・・・ここも自信がありません。そこからさらに残業だの休日出勤だのとなると・・・また病気を進行させることになりそうです。
アルバイトも考えました。正社員に比べれば時間的な校則は少ないに違いはありませんが、それでも決められた時間に働かないとなりません。もちろんある程度のお金を稼ぐには、ある程度の時間働かないといけません。
お金を求めれば段々と正社員の領域に近づいてしまう・・・。お金と健康の哀れな矛盾です。
答えはない。でもブログを「書く」ことはできる。
正直どれも「これだ!」という道はありません。暗中模索とはまさにこのこと。残っているお金のことも考えれば、あまり長いことぐずぐずしている猶予はありません。
となれば、僕に現状できることと言えば、ブログを書くことだけです。
FXをやろうにも元手がもうありません(元手ができたらまたやります!)
WEBライティングをやろうにもやりたい案件がありません(あっても提案がボツられます)。
就職しようにも必要な健康がありません。
でもブログを書くことならできます。
もちろん面白い記事は書けないと思います(ごめんなさい)
雑記みたいな感じになるかとは思います。
特化すればいいとは思いますし、そうするつもりでありますが、「何が自分の強み(特化できる部分)なのか?どうすれば言語化して記事にできるのか?」というのがまだよくわかっていません。悲しい中年です(笑)
でも、何でもいいのです。お目汚しかもしれませんが、書くしかないのです。
ブログを書けない理由3選⇒これらを討伐!
①忙しい⇒時間は「作る」ためにある!
先述した通り、現代人は仕事、生活、遊び・・・いろいろ忙しいよ!ということを述べました。
でもこれって24時間の中ですべてがすべて必要な時間なのでしょうか?
意外となくせる時間、ありません?
仕事を見てみてください。
今思い浮かんだ頭の中のその資料、本当に必要ですか?
A41枚にしたほうがわかりやすくなりそうじゃないですか?
過去に似たような資料はありませんか?
それをテンプレ化して作ることは出来ませんか?
常に全ての仕事にたいして疑問符をもって接してみてください。
ちなみに僕は公務員時代、先輩が1日かかって仕上げていた月次報告を、先輩が異動したとたんにすっぱり切り捨てたことがあります(笑)
月の営業日が20日ほどと考えて、そのうち1日が「浮いた」わけです。その時間に真に必要な仕事をつぎ込んでしまえば、圧倒的な時間短縮を実現できます。
この考え方は、「エッセンシャル思考」という本に出てきます。漫画版があるので、漫画部分だけでも読んで頂けると多くの学びが得られます。
- 作者: グレッグ・マキューン,星井博文=シナリオ制作,サノマリナ=作画,?橋璃子
- 出版社/メーカー: かんき出版
- 発売日: 2017/03/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
仕事の中から真に必要なものを抽出し、そこに全力を注ぐ。そうすれば仕事全体の質の向上につながりますし、残業の削減にもつながります。そうすればブログ書けそうじゃないですか?
それでも書けない!という方は、僕と一緒に次の項目へ行ってみましょう☆
②ネタがない⇒どんな毎日にもネタはある!
ここまで書いて思ったんですよ、僕。
人気ブロガーさんだって最初からすごいこと書いてたわけじゃないですよね。
かのイケハヤさんだって「最初のほうのブログは見ないで!」って言ってたことありますし。
それに人気ブロガーさんだって、雑記的なことを中心に書いている人だってたくさんいるわけです。
ぼくが最初に知ったプロブロガー、「あんちゃさん」だって特化ではなく雑記的な感じです。
だから、別に雑記だっていいじゃないですか?
毎日同じようなことの繰り返しに見える人生ですが、一つとして同じ時間はありません。
僕の今日一日もいつもと同じではありません。
今日の午前中は浄化槽の組みとりがあるはずでした。
家にいなくてはならないのですが、待てど暮らせど浄化槽の業者がやってきません。とうとうお昼になりました。
日にちが間違ってたかな?と思った僕は電話してみることに。すると帰ってきた答えが
「いやー、すみません。道が分からなかったもので!」
「あ、そうだったんですかー。じゃあ明日の午前中にまたお願いします
ー《・・・おいっ!(心の中で)》」
道が分からないから来られないって(笑)じゃぁ前もって電話してきてちょうだいよ(笑)僕が道案内するよ(笑)
ここまで僕の日常の雑記をつらつらと書いていました。面白いかどうかはともかく、意外と書けそうじゃないですか?
会社であったこんなこと。家庭であったあんなこと。もしくはお休みの日に参加したイベントやライブについて、平日に小分けにして書いたっていいかもしれません。
最初のうちは質なんて求めたってどだい無理な話です。すくなくとも僕は諦めました(笑)自分の出来る範囲内で、出来ることをやるだけです。
かのイチローも言っています。
”とんでもなく遠い所へ行くには、小さいことの積み重ねしかない”
- 作者: 『夢をつかむイチロー262のメッセージ』編集委員会
- 出版社/メーカー: ぴあ
- 発売日: 2005/03/11
- メディア: 単行本
- 購入: 12人 クリック: 143回
- この商品を含むブログ (119件) を見る
③本当にお金が稼げるのかギモン⇒お金以外の目的をブログに見出す
確かに1円も利益が発生しないんじゃいやになりますよね。
でも書かないと利益にならないのもまた事実。
とすればやる気がなくとも書かなくてはなりますまい。
でもお金のためだけじゃ、いつ出るかわからない利益のための作業は苦役になりかねません。
そこで、ブログにお金以外の要素を見出してみましょう。
たとえば僕のさきほどの浄化槽の件。
あれはあれで業者のずれっぷりが自分の中で面白かったです。
僕が住んでいるところは茨城県で、田舎ののんびりしたところです。
それが原因なのか何なのか、仕事ものんびりしているのかもしれません。
そんな何気ない日常の一コマでも、何年かしてこのブログを見返したら
「あー、確かにそんなことあったかも!」
などと思って新鮮な気持ちをもたらすかも。
だから、ブログにはお金だけではなく、こういう感情の「利益」を見出してみませんか?
先日「下町ロケット」という小説を読んだのですが、仕事について主人公のこんな言葉がありました。
「俺はな、仕事っていうのは二階建ての家みたいなもんだと思う。1階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけどそれだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけても飯は食えないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない」
ブログも仕事も同じかもしれません。お金のためだけじゃ窮屈な思いをするだけなのでしょう。
他の人気ブロガーさんも同じではないでしょうか?「月商○○万円!」と標榜しているブロガーさんだって、ブログづくりを楽しんだ結果、そうした数字が付いてきたのではないでしょうか?
僕にもブログを通じて発信したい思いがあります。もしかしたら誰も聞いてくれないかもしれませんが、やってみる気持ちではいます。
話しはそれますが、宇宙の話って素敵でいいですね。今度出るビブリオバトルのテーマが「宇宙」なので、ちょっと勉強してみようと思います。
まとめ改:とりあえずまたイチからやってみよう!
まずは最初の一円から。その1円を目指してやっていこうと考えてみます。それにブログを書くことは、メンタル疾患の治療の意味でもいいように思えます。すくなくとも家に引きこもって悶々としているよりはいいのかなと(このブログは図書館で書いています)
全国のあまりやる気ないブロガーの皆様。僕だってたいしてやる気ないです。働く気はもっとありません。別にへたくそなブログだっていいじゃないですか。僕だって超へたくそかもしれませんもの。でも数うちゃ当たるで一つくらい記事がヒットして、1円でも稼げればそれで見える世界も変わってくるかもしれません。
なんて偉そうなこと言って、次の更新は12月になるかも(笑)
その時はいけしゃあしゃあを今日と同じ記事を書きます。
読書の鉄人~「知の越境力」×「地図で楽しむすごい宮城」
1冊目 知の越境法 「質問力」を磨く
2冊目 地図で楽しむすごい宮城
伊達政宗の越境力
まとめ
「読書の鉄人」~本と本を「掛け算」する。
突然ですが、みなさんは「料理の鉄人」という番組をご存じでしょうか?
鉄壁の料理技術を誇る和洋中の「料理の鉄人」たちに、腕に自信のある料理人たちが挑戦するというこの番組。
もう20年近く前の番組ですが、僕はこの番組が好きでした。
場に厳粛な雰囲気を与える鹿賀丈史のスピーチ。
挑戦者と鉄人の間に繰り広げられるヒリヒリした展開の味勝負。
各調理場をカメラがせわしなく周り、目まぐるしく様相を変えていく二人の調理場。
挑戦者にも鉄人にも辛口なことを言う審査員たち。
エンドロール中に判定を待つときのあのBGM。
判定とともにきっちりと終わる番組。
どれひとつとっても切れ味のある番組でした。
YOUTUBEで当時の番組を見て、「こういう番組がまたあればいいのになぁ」と思いました。
すると、「ないなら自分で作ればいいか!」と思い立ちました(笑)
もちろん料理の経験があまりない僕にはその分野についてできることはないかもしれませんが、これが本ならどうでしょう?
僕もとびきりの読書家というわけでもないのですが、今年は年間100冊の読書にチャレンジしているところです。
料理よりは分がありそうです。
料理の鉄人は挑戦者VS鉄人という2人の対決になっていますが、僕はここで2冊の本を紹介する形にしたいと思います。
名付けて、「読書の鉄人」!
では実際にどのように「読書の鉄人」をブログとして展開していくのか、実例を交えながらお話ししていきたいと思います。
目次
「読書の鉄人」とは??
本の取り上げ方
「読書の鉄人」では、2冊の本を取り上げて紹介します。
ただし、2冊の一騎打ち・・・というわけではありません。
ここで取り上げる2冊はそもそも分野が違う場合もあり(小説とビジネス書、というように)、優劣を決めるべきものではありません。
そもそも僕ごときのものが筆者が渾身の気持ちで書いたものについて優劣を判断するなど、僭越な気もするのです(´・ω・`)
2冊について対決させるのではなく、2冊を並べることでどういった共通項が見つけ出せるか、どういう相乗効果が見込めるかを考えていく場としたいです。
たとえ全く論旨の違う2冊だったとしても、一つの問題について異なる見方が存在することをこのブログを通して明示することができるかと。
いわば本同士を掛け算する・・・といったイメージです。
書評ブログとは違う?
書評ブログを書こうとすると、1冊について書くのが普通だと思います。
しかし僕はこのブログにおいて3000字近く書くつもりでいるのですが、1冊についてその字数を費やそうとすると、結局ネタバレになってしまう心配があるのです(笑)
深く書いてくるつもりが、つい核心に触れてしまいネタバレとなってしまう。
それではせっかくの読者さんの本を読む機会を奪ってしまうことになりかねません。
そこで2冊取り上げて掛け算することで、ネタバレにならない程度でそれぞれの本のエッセンスを掛け合わせる。
そうすることでお互いの本の価値が比較することでより輝いて見える。
そんな実験的なやり方で本を紹介していきたいと思います。
1冊目 「マンガで身につく 多動力」
マンガで身につく 多動力 (NewsPicks Comic)
- 作者: 堀江貴文,星井博文,三輪亮介
- 出版社/メーカー: 幻冬舎コミックス
- 発売日: 2018/03/01
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (1件) を見る
かつてはライブドアを中心に世間を賑わせたホリエモンこと堀江貴文さん。
収監されたのちも活動を続け、服役後も非常に多岐にわたる事業を展開しています。
宇宙事業、医療事業、サロン運営、メディア出演、イベント開催、投資・・・。
これだけたくさんのことを動かせる力、それが本書のテーマである「多動力」です。
もともとは活字の本から出発したのですが、まもなく 漫画版も出ました。
漫画の主人公は普通のサラリーマン。
あるとき突然会社のビルごと無人島に飛ばされます。
皆が動揺する中、上司は「とりあえず仕事しろ」と指示をし、主人公も疑問を抱きながら普段と同じようにコピーをとろうとします。
しかし、そのコピー機を解体している人がいました。
それが主人公の会社の先輩・堀口康文。
堀江さんをモデルにしているこの人物、会社では桁外れの成績を上げる一方、会社では変わり者扱いされ敬遠される存在でした。
行き場のない気持ちを抱えながらコピーをとる主人公に対し、堀口先輩はその資料を取り上げビリビリに破きます。
唖然とする主人公。
堀口先輩は言います。
「こんなコピーに意味があると思うのか。俺は会社での実績を使って、100以上のプロジェクトを回してるぞ。」
「一つの仕事をコツコツとやる時代は終わったんだ。」
「三つの肩書を持ってみろ」
「お前の価値は1万倍になる」
堀江さんならではの破天荒な言葉。
エキサイティングですね。
でも肩書を3つも持つなんて大変そうな気がしませんか?
どうしたらそんなにたくさんのことができるようになるのでしょうか?
それを解き明かすには、これからお話しする2冊目の本に言及するとより答えが鮮明になることと思います。
2冊目 「マンガでよくわかるエッセンシャル思考」
- 作者: グレッグ・マキューン,星井博文=シナリオ制作,サノマリナ=作画,?橋璃子
- 出版社/メーカー: かんき出版
- 発売日: 2017/03/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログを見る
1冊目に続き、2冊目も「マンガでわかる」シリーズです。
主人公は小学校の女性教師。
毎日仕事に追われて好きなこともできない状態です。
ある日同窓会で幼馴染だった前沢塁と再会します。
海外のコンサルタント会社で活躍する前沢は、主人公にこう問いかけます。
「好きなことだけやってる?」
目の前の仕事に追われて好きなことだけなんてやってられない、そんなふうにこぼす主人公。
しかし前沢はそんな主人公の発言を一蹴するかのような言葉を放ちます。
「断ればいいじゃん」
それを聞いた主人公は怒って「そんなことできるわけないじゃん!」と立ち上がります。
しかし前沢は涼しい顔。
彼はこう続けます。
「実は俺も一年前までは平均睡眠時間3時間で仕事をしていたんだ」
「取引先が海外だったから飛び回っていた」
「そんな時偶然ある男性が隣に座ってね。寝る間を惜しんで仕事をしている俺に1冊の本をくれた」
「それが『エッセンシャル思考』との出会いだったんだ」
・・・自分と同じか、それ以上の激務をしていた前沢。
しかしそう淡々と話す前沢の表情には、疲れた様子はありません。
不思議に思う主人公。「何が書いてあったの?」と問いかけます。
前沢は答えます。
「99%の無駄を捨て、1%に集中する方法さ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで取り上げた2冊、内容が反対に見えると思いませんか?
「多動力」はたくさんの事を動かすこと。
「エッセンシャル思考」は1%に集中すること。
一見すると相いれない関係のように見えます。
しかしこの2冊の主張、実は根が同じなのです。
多動と集中
まずは「多動力」から見て行きましょう。
多動力の根幹にあるのは、「いかに無駄を排除するか」という考え方です。
さきほどの例に挙げたようなコピー取り。
これをみた堀口先輩は「こんなもんメールか口頭で十分だろ」と切り捨てます。
これを先頭に、「多動力」ではさまざまなものを「無駄」として排除します。
「寿司屋の修行なんて意味がない」
「99%の会議は無駄」
「電話をかけてくる人間とは仕事をするな」
「おかしな奴と付き合う時間は無駄」
「経費計算を自分でやるサラリーマンは出世しない」
修行、会議、電話、会社での人付き合い、経費計算・・・どれも社会で生きていくには必要そうに見えますが、「多動力」ではこれらを一切無駄と主張します。
中でも寿司屋の修行のケースはかなり説得力がありました。
寿司職人になるには寿司屋に弟子入りして修行をするのが通常のルートして考えられてきました。
「飯炊き3年握り8年」と言われ、10年近く修行してからやっと独立が許されるような世界です。
それだけ大変な業界なんだなぁと思いがちですが、この常識を破ったお店が現れました。
大阪にある「鮨 千陽(ちあき)」です。
このお店は調理師学校で寿司の勉強をした人が開いたお店でした。
その勉強期間は3か月。
10年以上が修行の常識と考えられてきたこの寿司職人の世界では、とても短い期間での独立です。
当初は「業界を舐めている」との批判も多くありました。
しかし千陽はここから快進撃を始めました。
なんと「ミシュランガイド 京都・大阪」に3年連続で掲載されたのです。
日本を代表する食どころとして知られる大阪で、通常の修行期間では考えられないようなスピードで出店した千陽がミシュランに乗ったことは大きな衝撃を与えました。
もちろん長い修行を積み重ねて大きな成果を出す人も多いと思います。
一方で「実戦こそ最高の修行」とばかりに早くに現場に立ってお客さんに向き合う千陽の存在は、「『大切なこと』に集中出来ているか?」を私たちに問いかけているかのように見えます。
「多動力」とは、無駄を排し、早く結果を出すことと言えそうですね。
では「エッセンシャル思考」ではどうでしょうか?
さきほどのように「99%を捨てて1%に集中する」というのがエッセンシャル思考の意味です。
しかし日々いろいろなことに追われている私たちにとって、どれが捨てるべきものでどれが集中すべき1%なのか、わからないですよね。
前出の前沢は、さらにこう続けています。
「90点未満は0点と同じと考えるんだ」
「厳しい基準で中途半端な選択肢に悩むことをやめる。」
「そうすれば君は間違いなく自由になれるだろう」
それを聞いた主人公は少し戸惑います。
「90点って・・・厳しすぎない?」
前沢は即答します。
「それがダメ」
「シンプルな数字で決めることで選択が合理的・論理的になる。感情が入り込む余地をなくす」
「絶対にイエスと言い切れないなら、それはすなわちノーだ」
90点以下は排除する。
つまりは90点以上のことにのみ自分の持てる力を注ぎこむ。
この主張、「多動力」と通じるところがあると思いませんか?
「多動力」の前提は、無駄の排除です。
無駄な資料作り、会議、準備・・・それらをすべて否定します。
それらを排除して作り上げた時間で、自分の好奇心の向くことをやるのです。
「永遠の3歳児たれ」
「多動力」の終盤に出てくる言葉です。
3歳の頃に返ったように、やりたいことだけやって生きていくのです。
エッセンシャル思考も同じです。
こちらも90点以下に感じることは全て排除。
エッセンシャル思考の主人公は自分のクラスで作った学級新聞が好評となりましたが、これを聞きつけた職場の先輩が学年新聞も作ってほしいとお願いしてきます。
引き受けてしまったものの、なかなか運営に手が回らず、かえって先輩から怒られてしまいました。
この話を前沢にしたことから先述の90点ルールの話につながります。
学級新聞については主人公のやりたいことだったので楽しく取り組めて好評も得ました。
しかし学年新聞はというと、学級新聞の延長のような気持ちでなんとなく引き受けてしまいました。
前沢から90点ルールについて聞かされた主人公は、学年新聞は自分にとって90点以上ではないと感じます。
そして学年新聞の仕事を断ることができたのでした。(ちなみにこの仕事を断ったことでかえって職場に好影響をもたらします。詳しくはぜひ本書をお読みください)
「多動力」・・・無駄を排除
「エッセンシャル思考」・・・90点以下を排除
この構図を見ると、両者は根本が同じであることがうかがえます。
私たちは情報が多い社会の中で暮らしています。
その中で、どれが大切でどれが無駄なのか、わからなくなることもありますよね。
そんな時は90点ルールを基準にして考えてみると判断が簡単になると思います。
そして「3歳児になったつもりで」好奇心の赴くままに生きるのです。
そこからさきに見える風景・・・どのようなものになるか、ワクワクしませんか?
みんな初めは子どもでした。
覚えていないだけで、みんな好奇心を胸に抱えて日々を楽しく暮らしていたのです。
一旦は通ったその道。
またその道を踏みしめてみませんか。
まとめ
初の試みとなった「読書の鉄人」。いかがだったでしょうか?
一見相反するタイトルの2冊でしたが、実は根っこが同じであることがわかって僕自身大きな学びとなりました。
読書の秋、これからもいろいろな本を掛け算しながら紹介していければと思います。
書店を元気に!「生き残り」から「未来志向」の書店経営へ。
縮小するリアル書店経営市場。
「置いてある」だけの書店ではやっていけない。
書店活性化策5選!
「本の案内役」をアピール
イベントを打って集客を狙う。
突き抜けた展示方法を展開する。